野口雨情

野口雨情

野口雨情

野口雨情(1886-1945)は現在の茨城県北茨城市磯原町に生まれ、大正時代に童謡運動の中心を担った詩人の一人です。15歳で東京留学。流転の人生を歩んだすえ大正13年(1924)からは東京の吉祥寺に定住、全国を行脚して〈創作民謡〉を書きました。
雨情の詩の特徴は思いやりと想像力の豊かさです。また言葉の音律(調子)が良いので作曲家に恵まれ、童謡も民謡も名曲が多く、全国的に広く行われ定着しました。とくに童謡では、貧しく理不尽な社会環境で健気に生きる子どもたちの姿も描きだし、心打つものがあります。情愛にあふれた作品が、当時スタートしたレコードやラジオ放送によって全国に広まりました。
しかしその後、軍部が台頭する社会状況の変化に童謡運動は衰退。野口雨情は新たに始まった地方民謡の創作に主軸を移しながら、1945年の終戦を待たず疎開先の栃木県宇都宮郊外で亡くなりました。
1954年頃に野口一家は疎開先から吉祥寺に戻りましたが、生地磯原(1951)を始め東京(1952)や雨情ゆかりの各地で「雨情会」が発足、野口雨情の顕彰活動が始まりました。研究の中心となったのは雨情長男の存彌(のぶや)氏でした。『定本 野口雨情』(全9巻)をはじめ多くの著作を残しましたが、2017年に他界。野口雨情は客観的な研究が完成されないまま、一部親族の「美化や創作」まで横行している状況下で、磯原雨情会の少数メンバーや東道人氏によって研究・顕彰が連綿と続けられています。
このホームページは、とかく文学研究中心になりがちな〈詩人研究〉の補完をめざし、童謡や歌曲の「音楽作品としての評価」に立脚した、音楽と文学の両側面からみた研究報告です。

顕彰活動

私は1984年に野口雨情の〈研究と演奏〉を始めました。「野口雨情の詩による 日本のうた」雨情会編(島田音楽出版)に触発され、雨情と直接交流した方や研究者たちから、貴重な〈生き生きした情報〉をもらえたからです。

 野口雨情ゆかりの各地に取材し、イベントで「雨情ソング―童謡・歌曲・新民謡」を演奏してきました。本居長世・中山晋平・藤井清水・山田耕筰の名曲にのせて、雨情詩の根源にある《純な童心》を届けたかったのです。2006年武蔵野雨情会設立。例会は70回開催しています。
 
 また、野口雨情の生地北茨城市磯原の「磯原雨情会」と綿密に連携し情報共有しています。
 2007年1月に「雨情合唱団」設立、運営。
2018年4月「武蔵野雨情会」を「東京雨情会」に改名。

連絡先

東京雨情会→スノーマン事務所(佐藤)03-594-9426                  雨情合唱団→林 不二子(団長)0433-71-9010

出張音楽講座

音楽講座「うたって楽しむ《童謡の文学》

●お話と全体合唱「うたって味わう童謡の魅力」スライド解説付き
  わかりやすく興味深い資料や歌詞をスライドで写します。
●童謡クイズ「赤い靴」「十五夜お月さん」を巡って
  ふだん何気なく歌ってきた童謡の内側を探る・・・ミニ探検です。
●演奏を楽しむ「捨てた葱」山田耕筰 ほか
  大作曲家の作曲した《野口雨情の真骨頂―民謡歌曲》をご紹介します。

B 童向け音楽セミナー「童謡―昔の生活文化と子どものうた」

【内容】
●うたって楽しむ“むかしの子ども世界”
―スライド解説・歌詞付

●え、どうして?―想像力を試す《童謡クイズ》

童謡の歌詞に出てくる「昔の生活と文化」を考える

例:「赤い靴」の女の子は横浜からどこに行ったの?

  なぜ「靴」だったのだろう?

  なぜ「異人さん」と一緒に?

  その様子を見ていたのはだれ?

  どれくらい前のことでしょうか?

  ⇒本当は○○○だった女の子(ナゾ解き)

●オペラ歌手のうたをきこう「鼠(ねずみ)の叔母さん」山田耕筰ほか

 

【形態】講師・スライド・歌・ピアニスト

 

※ソプラノ/雨情合唱団を加えることもできます

資料(工事中)

野口雨情の履歴
書籍・楽譜など基本資料/関係資料
各地の雨情会と関係者
作曲家・作詞家・関係施設

エッセイ(工事中)

雨情詩曲について
磯原雨情会会報掲載文など
ご依頼・お問い合わせは
お電話またはお問い合わせフォームより受付しております。


お気軽にご相談くださいませ。